シナプス全細胞の日記

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恐怖のオーストラリア旅行 〜その①〜

外へ出ると、冷たい風がジーンズに空いた穴から入ってきて震えた。私には理解のできない言葉があちこちに飛び交っていて少しうんざりする。ここは多民族国家オーストラリアの南東部にある都市、メルボルンだ。バンコクからマレーシアを経由し、約12時間かけてこの都市へとやって来た。大学を二年で中退し特にやりたいこともなかった私は、なんとなくチケットとビザを取り、なんとなくオーストラリアにやって来た。明確な目的などは何もない、ただ、なんとなく、来てみただけだ。日本とは全く違う文化をこの目で見て見たかったのかもしれないし、金髪の美女とただセックスをして見たかっただけなのかもしれない、または何か特別な人間になってみたかったのかもしれないし、ただオーストラリアという名前の響きが気に入っただけなのかもしれない。何にせよ、今は来た理由などどうでも良い、そんなものはどっちでも良いのだ、それよりも私はまず今夜泊まる宿を見つけなければいけない。

 空港のインターネットを使って街で一番安い宿を探した。便利な時代になった、インターネットが今のように普及する少し前までは宿を見つけるのにも一苦労だったとタイにいたヒッピーたちは言っていた。一番安い宿を見つけそこを予約した、私のような金のないバックパッカーの集まるところだと、予約サイトには書いてあった。宿まではバスで行くことにした。40人ほどが乗れるシャトルバスに乗り込み、宿に近い駅まで行くと、そこからは歩くことにした。

 気温は10度ほどだが、吹いている風がとても冷たい。それに小雨も降ってきた。僕はオーストラリアに来る前、南国トロピカル天国、タイランド1ヶ月ほど遊んでいた。北半球にあるタイは夏だったが、南半球のオーストラリアでは冬で、気温差が20度近くあるため身体がまだ寒さに慣れていない。それなのに厚手の服などは何も持って来ておらず、ぺらぺらのジャケット、ボロボロのジーンズ、底に穴の空いたコンバース、という格好だった。スニーカーに空いた穴から水が入り込んでくる。足の指の感覚はすでにほとんどない。雨のせいか、早朝のせいか、街にはほとんど人がいない。ホームレスが何枚もの毛布にくるまって寝ている。タイの陽気でほがらかで活気のある感じとは違い、とても寂しく、孤独を感じる街だと思った。それは単に僕が寂しい孤独なやつであったからなのかもしれない。途中で一ドルのホットコーヒーを買って体を温めた。

メルボルンコネクション、導かれるようにしてそこへとたどり着いた。壁はところどころ剥げ、”Melbourne Conection”という文字は消えかかっている。周りの建物はとても綺麗なのに、その宿だけは明らかに荒廃しており、貧困だとか暴力だとかを発酵させたような空気感が漂っている。明らかに何か、異質で、陰鬱で、危険な香りがする。親の反対を押し切ってまで大学を中退した金のない私には、そこの安宿へと泊まる他なかった。入り口のボロボロのガラスドアを開け、中に入るが受付にはまだ人の姿は見えなかったので、目の前にあったコールボタンを押した。少しすると、髪を後ろで結んだ小柄な黒人が目をこすりながら現れた。 「一番安い部屋にチェックインしたいんだけど、今の時間大丈夫かな?」そう聞くと彼は少し面倒くさそうに「あぁ、問題ないよ。これが鍵で、お前の部屋は二階の5番のドミトリールームだ、なんかわからないことがあったらいつでも聞いてくれ」そう言い残し、彼はすぐに寝床へ戻ってしまった。シーツと枕カバーを受け取った僕は、言われた通り階段を使って二階へと向かった。建物自体は少し古いが、掃除はまぁまぁされているし、アジアの安宿に定住していた僕にとってはなんの問題もないように見えた。黒人の彼に言われた番号の書いてある部屋の前にたどり着き、まだ早朝だったので、他の人を起こさないようにと、ゆっくり扉を開けた。私の目の前に広がっていたのは暗黒卿だった。

  ボロボロにはげた壁、ところどころ陥没し穴だらけの床、散乱している空き缶やお菓子などの生活ゴミ、埃、カビ、それに風呂に入っていない人間からする嫌な匂いが充満し、灰色の空気が沈殿していた。

明らかにイかれたやつが住んでいるように見えた。こんなところにはいられない、そうは思ったものの長時間のフライトと寒さで弱っていた私に他の宿を探す気力などなかった。ベッドが三つだけ空いていたので、窓際のベッドを選んで荷を下ろした。みんなまだ寝ている。マットレスは至る所が破け、茶色く変色しており、そこにぺらぺらの犬も使わないような穴の空いたブランケットが一枚おいてある。こんなもので寒さがしのげるはずがない、私はジャケットや靴を履いたままベッドにあがった。ステンレスでできたベッドの枠組みが音を立てて軋む。「俺はどうしてこんな所へと来てしまったのだろう」そんなことを考えながら、不安と、憂鬱と、雑巾のようなブランケットにくるまり、目を閉じた。「寒い….」三時間くらい寝ただろうか、寒さで目を覚ます。当然だ、気温は7度程しかないにも関わらず、この宿では雑巾のような糞みたいなブランケットを一枚しか支給してくれなかった。このままでは風邪を引くと思い、先ほどのレセプションにいき毛布をもう一枚もらえないかと頼むとすぐにくれた。がそれも穴の空いた、ゴワゴワの薄いブランケットで、現代の消費社会の中では明らかにゴミと呼ばれるものだ。しかしそんな文句をいう勇気は俺にはないし、ないよりはあった方が良いのでありがたく受け取る。WiFiは亀の如くのろまで、服を買いに出かけるにも何も調べることができない。ワーキングホリデイ花の1日目にして、絶望、意気消沈、やる気は皆無、先が思いやられた。